当クリニックの沿革について

石田記念大阪前立腺クリニックの歴史について

医療法人石田産婦人科

岡山県出身の初代石田光子先生が東京女子医学専門学校(現在の東京女子医科大学)を卒業後、岡山県三國村(現在の備中市)診療所長を経て昭和26年に大阪市旭区新森に石田産婦人科を開設されました。その後、昭和48年に二代目となる石田崇彦先生が昭和医科大学を卒業後、厚生年金病院産婦人科医長を経て東京で新生児集中医療に従事されました。さらに大阪大学で研鑽をつまれた後、民間病院勤務を経て昭和63年に石田産婦人科を医療法人に改編され二代目院長に就任されました。これまで2代、半世紀余りの長きにわたり、母子の安全を最優先する哲学のもと分娩、新生児医療に昼夜なく奉職し地域の産科医療を支えてこられました。

東京女子医専入学当時の石田光子先生
東京女子医学専門学校 (現在の東京女子医科大学)入学当時の石田光子先生
昭和24年開業当時の石田光子初代院長
昭和26年開業当時の石田光子初代院長
二代目院長 石田崇彦先生
二代目院長       石田崇彦先生

 

医療法人 石田記念大阪前立腺クリニック

現院長の岡本圭生は、滋賀医科大学附属病院において前立腺癌に対する密封小線源の永久挿入療法を平成17年より開始、令和元年末までに1238例の前立腺がん患者さんに小線源治療を執刀。その後京都宇治病院において令和3年から小線源治療を再開し、さらに294例の前立腺がん患者さんに小線源治療を執刀いたしました。今回 令和6年 患者ファーストで再発のない前立腺癌治療を目指すというこれまでの哲学をより発展・実現させるために石田産婦人科を継承し、前立腺癌の診断と治療、特に前立腺癌小線源治療に特化したクリニックとして石田記念大阪前立腺クリニックを立ち上げることとなりました。これまでの石田産婦人科の先々代、先代の院長が長年にわたり実践されてこられたご努力と功績を汚すことなく 患者さんとご家族の幸せを願ってこれまでと同様、粉骨砕身の気持ちで医道に取り組んで参る所存です。どうぞよろしくお願いいたします。